光徳寺 まいづる公園 布袋通り

新潟県村上市は古い城下町で、戦国時代、本庄氏がこの地に居を構え、後に豊臣秀吉の命に依り、村上氏が加賀の小松より栄進してこの地に入り、 村上と名づけて今日に至っています。
現在でも中級武士の住居であった若林邸(重要文化財)など武家屋敷が点在し、保存されています。


 城下町の名残を残すものが多く残る村上において、あまり脚光を浴びなかったのが代々の城主の菩提寺であった光徳寺である。
村上城のあった臥牛山の南麓(天守三層櫓の直下)で、三の丸地内にあった(本丸・二の丸・三の丸地内の寺はここだけ)ことから、古くから代々の城主の菩提寺として建立したものと考えられる。
浄土宗である今の寺の建物は、曹洞宗の作りであるが、藩主の移封により寺号も変わり、今の光徳寺と いう名になったのは 内藤豊前守弐信候の時代(1720〜)からである。
村上藩主内藤家のご先祖 信成候は、徳川家康候の異母弟で、徳川将軍家と濃い血縁関係があります。

★本堂
  中央の本尊は立像三尺、金色等身の阿弥陀如来、両脇は観音菩薩と勢至菩薩(いずれも鎌倉佛師の作)で、向かって右は高祖善導大師、左は元祖円光大師の像(江戸佛師の作)であり、平成6年に当時の姿に復元した。本堂の建物は間口14間、奥行10間、高さ約11米で、柱が84本ある。

★徳川将軍・内藤候の霊牌堂
  内藤候は徳川将軍家と濃い血縁関係にあり、歴代徳川将軍家の位牌13柱が上段に、藩主内藤候の位牌14柱と、奥方、お子様など御家族の位牌が下段に共に安置されている。霊牌堂前の廊下はウグイス張りになっている。

本堂 徳川将軍・内藤候の霊牌堂
本堂 霊牌堂前の廊下


★内藤候歴代城主の墓所 (市文化財)
  平成元年に東京都渋谷区広尾の東北寺より歴代藩主とそのご家族の墓碑すべてをお迎えし、すでにおまつりしてあった戊辰の役落城時の藩主 12代 信民候のお墓と一緒に安置しました。

内藤候歴代城主の墓所 内藤候歴代城主の墓所
内藤候歴代城主の墓所 内藤候歴代城主の墓所


その他に、戊辰の役で責めを一身に負って自裁した家老鳥居三十郎の位牌などがある郷土の偉人たちの位牌堂、市の文化財(天然記念物)に指定されている五葉松のある庭園など見所がいっぱいです。
この資料も光徳寺の小林さんに頂きましたし、いろいろと説明もして頂けます。



村上町屋商人会(あきんどかい) 観光案内所

観光案内所看板  村上では「武家屋敷だけでなく町屋造りもおもしろいぞ」ということで、村上町屋商人会というのができて、町屋造りをゆっくり見てもらおうという動きがあります。
当店ては村上絵図や道路案内図を差し上げたりしていますので、観光案内所という看板を頂きました。どうぞ村上に訪れた時には、当店にお立ち寄り頂き、地元の話題を仕入れて下さい。光徳寺までの地図も差し上げます。


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