‘漆器’ というのは、読んで字の如く、
‘漆を塗った器’のことであり、日本では天然木の器が多く使われていたので、木の器に漆を塗り
使用するところから ‘漆器’ が発達してきました。
今では ‘漆器’ のことを国際共通語で ‘ジャパン’ と呼んでいます。
第18回 関東甲信越静コンクール 伝統工芸品・作文の部 (伝産協会 主催) 最高賞受賞作(関東経済産業局長賞) 「村上木彫堆朱にふれて」 長谷川結美さん(新潟県巻町立 巻西中1年) |
夏休みのある日、父が祖母の家から風呂敷き包みを持ち帰って来ました。包みを広げると、花びんと 花びん敷きが出てきました。 「この堆朱は、父さんが彫ったんだよ。」 父は花びん敷きを手に取って言いました。 「堆朱?」 「村上の伝統工芸品だよ。」 私は堆朱を初めて知りました。 その花びん敷きは、父が若い頃、堆朱の木彫り教室で彫った作品だそうです。細かい菊の模様が 一面に彫ってあります。細かい模様を同じ深さで同じように彫るのに苦労したそうです。 職人さんによって漆が塗られ、完成しました。私は、父の作品がとても上手で驚きました。 そういう趣味があったとは、知りませんでした。 花びんは、今は亡き曾祖父の大切にしていたものです。山水画が彫ってあり、濃い朱色で、顔が 映るほどつやがあります。そんな時、 「うちにもあったのよ。」 母が台所の戸棚の奥から、堆朱の丸いお盆を出してきました。ハマナスが彫ってあるそのお盆は、 十五年程前に頂いたものだそうです。 うちの三点の堆朱はよく見ると、少しずつ朱の色もつやも違いますが、彫刻が細かく、朱の色が 美しいと思いました。どのように作られたのか疑問に思い、インターネットや図書館で堆朱について 調べてみました。 堆朱は今から約四百年前に、寺院建築の為に京都から集められた宮大工や彫師、塗師たちによって 基礎が築かれました。その後、江戸時代に村上藩士が江戸で名工より堆朱の技法を習得し、これを 村上に伝えました。当時の藩主の工芸奨励政策もあって、それまで藩士間の趣味であった技術が、 町方の職人にまで広まり、次第に職業化されるようになりました。城下町という環境や、漆や木材が 近くで採れるという自然の恩恵を受け、長い歴史の中で工夫を重ね、郷土色豊かな伝統工芸品として 育まれてきたことがわかりました。 後日、堆朱を育んだ村上へ、家族ででかけてみました。 堆朱工芸舘では、製造工程の様子を見学しました。一つ一つが職人さんの手作業で丁寧に作られて いました。自分の仕事に自信と誇りを持った職人さんたちによって、堆朱の伝統は守られ続いている のだと思いました。 ホームページで調べておいた小杉漆器店にも行きました。小杉漆器店では、村上堆朱の特徴や種類、 取り扱い方法など親切に教えてもらいました。 特徴は、漆を塗る前に彫刻をすること、漆のつやを消す「つや消し」をすること、仕上げに細線を 彫る「毛彫り」をすることです。堆朱は工程ごとに塗師と彫師の間を何度も往来し、丹念に作られて います。完成するまでにとても時間がかかります。家にある堆朱もこんなに手間をかけて作られていた んだと、改めて実感しました。 村上木彫り堆朱は新潟県の伝統的工芸品です。堆朱は美しく、ぬくもりがあります。愛着を持ち 長く使い込んでいくうちに、ますます色が濃くなり、つやが出てくるそうです。確かに、曾祖父の 花びんが一番つやがあり、風格があります。生活の中で使うことによって、深い味わいが出る工芸品は 工業製品にはない素晴らしさがあると思います。大切にすれば親から子へと世代を越えて長く使え ます。 うちの堆朱にはキズもありますが、それが使われてきた証です。暮らしに豊かさや、潤いを与える 堆朱を大切に使っていきたいと思います。 うちの堆朱は、これからどのように変化していくのだろう。そして、我が家にどんな歴史を残して いくのだろう。 |
11月の伝統的工芸品月間を前に関東甲信越静の伝統工芸品の理解を広めようと小中学生の図画・
作文コンクールが開催され、上記の長谷川結美さん(新潟県巻町立 巻西中1年)の作文がトップの
関東経済産業局長賞に輝きました。 作文の内容は当初わからなかったのですが、家族で当店へいらして頂いたようで、その事が作文に 書かれており感激しました。 |