散策日誌2014 by yamada
土樽駅付近
1 期 日 2014年7月26日(土)
2 散策随想
国道17号から登山口駐車場へ
関越自動車道を湯沢ICで下りて国道17号線を東京方面に向かい、「田中」交差点を左折し「土樽中里岩原」方面に向かう。県道540・541を通り、中里土樽へ車を進める。
越後中里駅あたりは民宿やペンションがたくさんあって賑やかだった。中里からさらに奥ではJR上越線の下を通る。このあたりが松川トンネルで線路をループさせて清水トンネルに向かうところだ。さらに進むと次第に家屋がなくなって、高速道路に並んだ県道を進むと小さい土樽駅の標示がある。徒歩で階段を上り駅に向かうところだ。近くに駅につながる道路もあって、登山口を見た帰りに入った。駅の先に清水トンネルがある。道路はその下を通っていた。
登山の広場と高波吾策さんの胸像
線路を過ぎて高い山が見えだしたところに、広場があった。「安全登山の広場」というようだ。ここに高波吾策氏の胸像があり、その功績が讃えられて書かれていた。吾策氏は「国鉄土樽山の家」の管理人として従事し、茂倉新道・吾策新道など5本の登山道を切り開き、土樽をスキーや登山のさかんな地に盛り上げた人物だった。
いくつもの登山口
広場を過ぎると、右に「万太郎山」登山口があり、さらに進むと「茂倉岳」登山口、「蓬峠」登山口の標識があった。蓬沢の橋からは武能岳、茂倉岳を望むことができた。2000m級の稜線が続く、遙かな眺めだった。茂倉岳の駐車場は100台ものスペースがある。谷川岳・一ノ倉岳を縦走するのに一番のコースだ。
無人の土樽駅
高速道路が遮って土樽駅はわかりにくかった。駅入口の階段より南側に駅への道路があった。駅は立派だったが、無人駅だった。登山届けのポストがあったり、地図があったりして、登山の起点としての駅の装いがあった。地図をよく見ると、平標山への登山道もあった。土樽駅から谷川連峰のあちらこちらに行くことができるようになっていた。土合駅が谷川縦走の南の起点なら、土樽駅が北の起点になっていたのだろう。昭和6年清水トンネル開通、昭和16年土樽駅開設を経て、土樽駅を起点とした登山も盛んになっていったのだろう。その後、上越新幹線、関越自動車道ができて、交通の要地にはなったが、登山口としては、あまり注目されなくなっているようだ。しかし、谷川連峰は清水峠・三国峠を擁する中部日本の分水嶺だ。そこには、遙かな眺望があるに違いない。
リンク 土樽駅から蓬峠をめざして
3 記録写真
![]() |
JR上越線、土樽駅を過ぎて清水トンネルに入るところ、左、関越自動車道 |
![]() |
階段を上がると昭和6年に開通した清水トンネル、小説『雪国』の冒頭にもある |
![]() |
右へ万太郎山登山口への分岐、左茂倉岳・蓬峠へ |
![]() |
しっかりした標識がある |
![]() |
ここを右に行くと茂倉岳登山口駐車場 |
![]() |
標識はしっかりしている |
![]() |
右奥が、武能岳 |
![]() |
奥の中央が茂倉岳 |
![]() |
蓬沢の橋から谷川連峰が見える |
![]() |
茂倉岳登山口駐車場、たくさん車があった |
![]() |
土樽駅から関越自動車道越しに、谷川連峰 |
![]() |
清水トンネルの手前から谷川連峰 |
![]() |
土樽駅の施設は大きくきれいだ |
![]() |
土樽駅の入口、駅の大きさからすると入口は小さい |
![]() |
どうしてだろう |
![]() |
中は大勢の利用者にも対応できる施設だ |
![]() |
次の駅は土合です |
![]() |
安全登山の広場、高波吾策氏の胸像 |
![]() |
高波氏の功績を讃える胸像の碑文、国鉄の支社長が謝辞を書いている |