日本一小さな山脈と言われている。中条に向けて7号線を北上すると、右手に見える山塊がこの山脈だった。山賊会の記念すべき第一回目の土曜の午後山行がここだった。村上アルコール会との合同山行もここだった。そして、山賊会若手三人組の山行もここだった。考えてみたら初心者を安心して連れてこられる山である。
私が好きな景色がこの山には幾つかある。まず、白鳥山の東屋から眺める水田の景色が素晴らしかった。山城の城主が下界を眺めて悦にいっている気分とでも言うのだろうか、田ごとに張られた水の輝きはいつまで観ていても見飽きない景色だった。次に鳥坂山の山頂から胎内川を隔てて観る高坪山の雄姿である。あれだけ親しんだ高坪山も、その力強く雄雄しい姿に印象も一変させられた。
山脈の最高峰である櫛形山からは、二王子岳を真正面に見ることができる。春まだ残雪をたっぷりとたたえ、ぐっと肩をいからせて立っている二王子岳を見ると、自分も頑張らねばなあと思うのだった。大峰山からの眺めも格別なものがある。佐渡島がぽっかりと海の上に浮かんでいるのだ。
もう15年以上前になるだろうか。山仲間のSと一緒にこの山脈の全山縦走に挑戦した。秋だった。登山道の途中にたくさんの栗が落ちていた。ちっぽけな山脈とたかをくくっていたのに、歩けども歩けどもなかなかゴールの大峰山には着かないのだった。私たちがほとほと疲れて大峰山に到着した頃は、とっくに秋の西日が海に落ちる頃だった。二人してすげー山だったねと顔を見合わせたのを覚えている。
櫛形山脈の魅力とは何かと考えた。それはバリエーションの豊かさではないかと思っている。懐が深く、どんな力量の登山者にも対応し、満足感を与えてくれる山だった。だから、子どももベテランもお年よりもこの山が好きなのだろう。人も同じだなあと、私はこの山に初心者を連れて登るたびに教えられる。そんな人に私もなりたいと・・・。
山を始めたばかりの頃、よく2万5千分の1の地図を見ていた。暇があると地図を開き、いろいろと想像をたくましくするのだった。山の名前を覚えることも好きだった。登山道のない山であるが、妙に名前が心に残って忘れられない山があった。そんな山の中の一つに、この風倉山があった。「かざくらやま」胎内スキー場には風倉ゲレンデがあるが、この山とは縁のない山のようだ。私は飯豊や山旅の途中でこの山の麓を通っているのだが、「ああ、この辺りにある山だなぁ」と思いながらも、どの山がそれか同定できずに何年も過ぎた。いつか機会があったら登りたい。そう思っているうちに山賊会からお声がかかった。念ずれば山に登れる。私は心の中の風倉山に会える日を楽しみにして、その日を待っていた。
ダムを渡り、階段状の登りを過ぎると、痩せ尾根となった。越後の山だなぁと思った。私たちはいつものように賑やかにおしゃべりしながら登っていった。最後の胸突きの急登では登山道を見失うぐらい細い道が藪の下にあった。枝につかまりながら登って行ったら、ぽっかりと尾根の向こうの世界が現れた。東港に阿賀野川、我が故郷の新潟市ももやの向こうに煙って見えた。私はきっとこの山を子どものころからそれとは知らずに見ていたことがその瞬間分かった。別世界。山の裏側から私は幼き頃の自分を覗いた気分だった。あの町で私は育ち、私が知らぬとも風倉山はずっと私のことを見守っていてくれたのだ。何だかそれが無性に懐かしかった。この山に心引かれた訳は、この山の名前だけではなかったのだと、私はその時心に感じた。