光兎山 996m
信仰の山です
朝日飯豊連峰がよく見える

                    NO.9 「光兎山」 996m 関川村

 山賊会では91年の10月にこの山に初めて登った。その年の6月に月山で暴風雨に合った。そこで学んだことは登山の装備の大切さであった。集まる山賊たちのいでたちを見て驚いた。ゴアテックスの雨具に、ゴアの軽登山靴。上着はウールの登山シャツ。下着はオーロン。ここに日々学び続ける山賊たちの心意気が感じられた。私の姿が哀れに感じられるほど、光っている面々だった。
 この山も奥深い山だった。20年近くの昔、初めて登ったときは、中束からの登山道だけであったが、この年には田麦からの登山道が出来ていて有難かった。途中の観音峰からとても長かったことを覚えている。山頂手前にはだましのピークがあり、これを越えての山頂への一気登りはけっこう体に応えるものだった。山頂からの景色は絶品で、あの鷲ケ巣岳は呼べば応える位置に大きな羽を広げて立っている。雄大な杁差岳からなる飯豊連峰もすぐそこである。何よりも登ってきた尾根筋がはっきりと分かるところがよかった。これだけの道を登ってきたのかと思うと、達成感と充実感とを感ずるものだった。合格祈願の立て札も賑やかに立っていた。やるだけやったのだ。そう自分に言い聞かせられる山でもあった。だから、中学生たちはこの山に登って、合格を祈願するのだろうか。山頂にある小さな祠には、光る兎が鎮座していた。
 私が一人でこの山に登ったときのことだった。私の行く手に生まれたばかりの動物の糞があった。温かくて、匂いもそのままの糞だった。恐る恐る登っていくと、登山道の曲がり角で、カモシカとほんの鼻先で出くわした。一人と一匹は驚いて逃げた逃げた。山ってそんな場所でもあるんだなぁ。

                  NO.10「立烏帽子」 561m 関川村

 天空に向かってバベルの塔を建てる。その天辺に座って下界を眺め渡す。そんな気分になりたかったらこの山をお勧めする。
 この山も山賊会の土曜の午後山行の山だった。今にして思えば、こんな山遊びができた環境が羨ましく、懐かしく思われる。麓の梁山泊という小屋までは、伐採したての森の墓場を通り抜ける。山に来て明るいということは、木々が切り倒されたということなのだ。赤い布切れが梁山泊への道を教えてくれた。
 K山岳会は私の憧れの山岳会だった。当時飯豊で先鋭的な登山を行っていた。その山岳会が建てた山小屋がこの梁山泊だった。ここもまたつわものどもの夢の跡だった。小さな小屋の前には、手作りのブランコがひっそりと揺れていた。酔っ払ってこのブランコに揺れている山男が見えるようだった。小屋の中には生活用具がきちんと整理されていた。山やの真髄がここにある。生活は山の一部分なのだ。
 この山はいっさいのプロセスを省き、突然山頂への登りとなる山だった。這うようにして登る急坂をロープ頼りによじ登っていく。それがこの山の面白さでもあった。葡萄鼻山に連なる尾根筋に出たとき、その向こうに聳え立つ杁差岳が微笑んでいた。夏場には道はなかった。
 山頂は天空に突っ立っていた。そこで山賊たちのコーヒータイムが始まる。ちょっと眼下を覗いてみたら、真下にかの梁山泊がちっぽけに森に囲まれて存在していた。目がくらむ思いがした。立烏帽子とはそんな山だった。

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