NO.34 「飯豊本山」2105m

 新潟市から稀に本山を遠望できる日がある。御西岳の肩に鉛筆の先のように尖って見える山が本山だった。岩船の四日市からも本山が見えると聞いている。「本山の雪が溶けたら借金を返す」ということわざが残っているそうである。越後から遥か遠き山であるが、山賊会の憧れの山であった。
 本山に登りたい。その願いと思いとでこの会は続いているといっても過言ではなかった。新潟の山好きにとって、本山とは山の中の山として特別な存在となっている。
 十数年前に山賊会を発足させたときの目標はこの飯豊本山だった。山のまったくの素人だったメンバーが、山への主体性を発揮して、高く険しい目標に向かっていたのも、この本山があったればこそと感じている。山は連れて行ってもらうものではなく、自分の意志で登るものであり、自分が荷を担ぎ歩くものなのだとメンバーが自覚したときから、山賊会の登山は変わった。そこから各人の工夫が生まれ、地道な鍛錬が始まった。その成長振りには目覚しいものがあり、隊長としては微笑ましく、頼もしいものを感じた。山賊たちは、自分の弱さを知る登山者だった。そして、高き憧れと夢とを抱きつつ、一歩一歩を着実に登る登山者でもあった。己の弱さと本山とのギャップをどのように克服していくか。この命題への答えを模索するための十数年であったと思う。
 やはり山は人を選ぶと私は思っている。本山には本山にふさわしい登山者が登るべきなのだ。百名山の一つとしての本山ではなく、私たちにとってはオンリーワンの本山として心の中で独座している。ここ4年間の夏、毎年のようにして本山に立っていた。私たちが山登りの原点に帰りたいとき、私たちはここを目指し、この山頂に立っていた。かっては山岳信仰の山であり、元服を証する山でもあった。私たちも禊のごとく、下界の邪念を祓うかのように本山に登った。
 昨年の夏は、私がいなくとも山賊たちだけで、この山から大日岳への往復を無事に果たした。私は本山からメンバーが大日に向かう後姿をいつまでも見つめていたい心境だった。旅立つ子を親が見送る心境だろうか。何故か感慨深いものがあった。本山に憧れ、本山を目指して発足した山賊会だった。そして、山賊たちはその本山を越えて、大日に向かって歩いていた。童の心と書いて憧れと読む。まさに中高年の山賊たちは童の心のまま、まっすぐに山登りの道(みち)を歩き続けてきた。しかし、それも飯豊本山があったればこそと思っている。たとえ遥か遠き山であろうとも、山人の魂の原点として、今も本山は立っていて下さっている。

2002年再び飯豊本山へ 三国小屋を前に一休み

NO.35  「三国岳」1631m

 弱さを知らぬ無謀な登山者がどんな悲惨な目にあうかという話をしたい。
 季節は真夏、かんかん照りの昼過ぎ、場所は七つ森から三国岳を目指した縦走路。大日岳に前夜泊まった3名は、本山を駆け下り、一気に川入りに下るために、先を急いで歩いていた。短パン・半そで、鉢巻一つの私は、この岩場を過ぎる頃から体調が思わしくなくなった。暑いのだ。喉が異常に渇くのだ。先頭を行くSが振り返った。休むかという合図だったが、私はすぐ目の前に見える三国岳まで頑張ってみようとSを促した。先を行く幾つかのパーティを追い越して、最後の急登を登ったときは、本当は限界だったのだろう。私たちは小屋の日陰に入り、ほてった体を冷やしていた。私たちが急いでいるには訳があった。夕方までに川入りに降りないことには、今日中に新潟へ帰れないからだった。休みたい、しかし、時間がない。そのジレンマを乗り越えて、しばらくの休みの後、私たちは意を決っして歩き出した。剣が峰への急降下。この瞬間、アクシデントが起こった。私の意識が朦朧として、私が岩場に落ちてしまったのだった。突然前を歩く私が消えた。
 幸いすぐ下の岩場に引っかかり難無きを得たが、驚いたのは後続の二人だった。Yはすぐにザックから細引きを取り出して私に投げてきた。Sが私の体にその細引きを巻きつけ、二人かがかりで私を引き上げてくれた。日陰で体冷やすが、そのうちに私は全身の筋肉という筋肉が痙攣するというすさまじい状態に陥ってしまった。これはいったい何だったのか。とにかく回復までは時間がかかかりそうなので、痛みが和らいでから二人は私を三国岳の小屋まで引っ張りあげた。小屋の中では、二人かがかりでマッサージをしてもらった。一人でなかったことが有難かった。そして、二人には本当にすまないと感じた。直射日光の中、短パン、半そで、鉢巻といういでたちでは、日射病になるのも当たり前だった。そして、どういうわけか山登りでは休むことを軟弱と見るふしがある。だから、私のように無理をして悲惨な結果を招いてしまうのだ。
 夕方、なんとか歩けるようになり、私たちは川入りを目指し、ここの民宿で泊めてもらった。ここで聞いたクマ討ちの話が実に愉快だった。それは無謀な猟師の悲惨な話であった。