城下町村上に伝わる
雛人形

村上市郷土資料館では毎年『城下町村上に伝わる雛人形展』開催しています。
村上市内の旧商家や旧家に伝わる雛人形や皇太子殿下・雅子妃殿下のご成婚を記念して総理大臣賞を受賞している人形作家 津田蓬生氏に依頼し製作されたご成婚雛などどれもすばらしいものです。
また平成11年度より『町屋のお人形さま巡り』が始まり、町じゅうにひな祭りの華やかさが漂います。


      雛人形の歴史

      雛人形の形式

      雛人形の飾り方

      ひなまつりの供物

雛人形の歴史

ひなまつりは、もともと中国から伝来した行事です。
昔中国では、上巳(じょうし・3月初の巳の日)に水辺に出て、不祥を除くための禊(みそぎ)・祓(はらい)を行い、宴を催しました。これがわが国では平安時代以前から祓中心の行事として朝廷や貴族の間で盛んになりました。祓の道具として人形(ひとがた)が用いられ、自分の罪を人形に託し、肌身にすりつけ息を吹きかけ、これを水に流すようになりました。この人形が雛人形の源流の一つと考えられています。
雛人形は、古くは「ひいな」といわれ、紙・布製の男女一対の人形で「鳥のひなになすらえている」(玉勝間・本居宣長の随筆集)といわれるように、小さくて可愛らしいという意味です。平安時代の貴族の家庭では少女達の遊び道具でした。
 この遊び道具としての「ひいな」と信仰的行事の「ひとがた」が結合して、今日の女の子の幸せを祈る雛人形になったといわれています。ひなまつりが3月3日の年中行事として定着したのは江戸時代に入ってからのことといわれています。





雛人形の形式

@立雛と坐雛
 雛人形は大きく分けて立雛と坐雛があります。立雛は立っている姿の雛人形ですが、それ自体では立たせることはできません。作りも簡単で、きれいな厚紙で衣装を作り、それに頭を差し込んだだけのものでです。このことから坐雛より古い形式と考えられています。
 雛人形はもともと男女一対の人形でしたが、ひなまつりが盛んになると、安定した坐雛が作られるようになりました。
 また、内裏雛のほかに三人官女・五人ばやしも飾られ、さらには嫁入り道具を模した諸道具も加えられるようになりました。
A室 町 雛
坐雛の一番古い形式で、江戸前期に作られたと推定されるのが「室町雛」と呼ばれています。特長は、頭が丸く、袖を左右に広げた形をしており、手足がついていません。
B次郎左衛門雛
前掲の室町雛を源流とした丸顔の頭を一括して次郎左衛門頭といい、その頭をつけた雛を次郎左衛門雛と呼んでいるようです。京都の人形師で江戸幕府の御用を勤めていた雛屋次郎左衛門の名に基づくといわれています。
C寛 永 雛
次いで古いと考えられているのが寛永雛と通称されている雛です。特長は、頭が長手であること、男雛では冠を頭と一緒に作ってしまう共冠で、髪を植え付けていないこと。女雛では、額の生え際に作り眉を描き、装束は小袖と袴で室町雛同様袖を左右に開いていることなどです。
D享 保 雛
寛永雛のさらに発展したと思われるものが享保雛と呼ばれるものです。頭は長顔系であること、女雛の膝に綿をたくさん入れて、厚く膨らませていること。装束も五衣の重ねを誇張し、それを左右に張って、著しく三角形の底辺が広がった感じとなっています。また女雛に対抗するかのように、男雛も袖を横にピンと張っています。この雛の系統はかなり長く続いていたらしく、同じ享保雛でも新旧二様のものがありました。
E有 職 雛
享保雛の装束が有職(平安時代以来の貴族たちが儀式や行事のほか、日常生活に用いてきた規範)とかけ離れているのに対して、装束を正しく考証した雛人形をいいます。
F古 今 雛
古今雛というのは明和頃(1764〜1772)に作りはじめられたといいます。文化頃の川柳に「祖母次郎左、母つっぱりに嫁古今」というのがあります。祖母は次郎左衛門雛、母は袖をぴんとつっぱった享保雛、嫁は古今雛という次第です。また、古今という名も、和歌も古今集になぞらえ、公家風というような意味でつけたらしく、特長というようなものはつかみにくく、現在では享保雛以後の町雛を一括して古今雛と呼んでいるのが普通です。



雛人形の飾り方

 内裏雛は、関西では向かって右に男雛、左に女雛を飾りますが、関東ではその逆といわれてきました。京都御所では南に向かって東のほうが尊いとされる定めにならったものですが、最近は関東風に飾られるようになってきました。
 五人ばやしは能楽の舞台にならって、向かって左から太鼓・大鼓・小鼓・笛・謡の順に飾り、音の大きな楽器ほど左に飾ります。





ひなまつりの供物

 桃は古代中国では悪気をはらう仙木として使われ、日本でも魔除けの道具として用いられました。白酒が飲まれるようになったのは室町時代からで、これも悪気をはらうとされました。
 菱餅は初め草もちでしたが、次第にのし餅をひし形に切って供えるようになりました。餅は災いをはらうとされ、昔中国で菱ばかりを食べて長生きした仙人の話から、長寿を願って供えられます。雛あられはもともとは保存食・携行食で、ひなまつりが野外の行事であったことを物語っています。