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武 家 屋 敷 |
| 各武家屋敷の開館時間については、変更されることがございます。 また月により休館日がございますので詳細は郷土資料館までお問い合わせください。 (0254)52−1347 |
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旧成田家住宅 0254-53-0029 |
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| 住 所 村上市新町3−23 つ く り 直屋・寄棟造・萱葺 面 積 131.65u 建設年代 江戸後期 保存修理工事 平成7年、現地保存 現存する武家住宅の中では、唯一玄関が妻側に位置する形態です。建設年代も幕末から明治のものと推定されます。 藩政期における居住者は判明しませんが、嘉永7年(1854)に村上を訪れた佐賀藩士牟田高惇の日記には「元 岡本左太夫」の屋敷であったと記されています。しかし、明治の村上藩の分限帳には岡本左太夫の名前は見当たらないことからどのような武士が住んでいた住宅なのか現在のところ不明です。 |
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| 職員不在の場合は「ガラス越し」にての室内見学となり、建物内には入れません。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| まいづる公園 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| まいづる公園は、皇太子殿下・雅子妃殿下の御成婚を記念した公園であり、南東方向に舞鶴城跡をのぞみ、公園内には雅子妃殿下ゆかりの旧嵩岡家住宅のほか、旧岩間家を移築復原することにより市民の祝意を永く顕すとともに村上藩士の生活文化を展する重要な歴史文化施設としても意義深い公園です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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旧嵩岡家住宅 0254-53-0013 |
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| 住 所 村上市庄内町 つ く り 直屋・寄棟造・萱葺 面 積 103u 建設年代 江戸後期 保存修理工事 平成8年、新町より公園内へ移築 平面構成は、玄関-茶の間-座敷となり、若林家住宅ほど接客空間が独立していなかったと思われます。 嵩岡家は、代々100石を給された中級武士で天明期は江戸藩邸詰でした。この嵩岡家は、皇太子妃殿下雅子様のご実家小和田家とは縁戚関係にあたります。 |
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旧岩間家住宅 0254-53-0013 (※旧嵩岡家と同じ) |
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| 住 所 村上市庄内町 つ く り 直屋・寄棟造・萱葺 面 積 109u 建設年代 江戸後期 保存修理工事 平成7年、飯野2丁目より公園内へ移築 この住宅の特徴は、長屋形式であったものをアンセイ年に一戸建てに改造していることです。この改造が行われた時期については改造によって取り払われた部材を隠すために使用した「カブセ」という小部材の裏に当時の大工が書いた『安政五戌牛歳五月吉日 大工 羽黒町 清八造之』と記された「墨書」が見つかったことによります。 江戸末期には、須貝氏(徒士頭であったか?)の屋敷でしたが、その後所有者が変遷し、昭和23年ごろ岩間氏の所有となりました。座敷床の間や欄間については解体前の現状の姿を踏襲しました。 |
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旧藤井家住宅 0254-52-7687 |
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| 住 所 村上市庄内町 つ く り 直屋・寄棟造・萱葺 面 積 147u 建設年代 江戸後期 保存修理工事 平成10年、現地保存 藩政期には、代々250石を給されていた重野氏の屋敷で者頭役や奉行などを務め、中級上位に位置していました。 現存する武家屋敷の中では、若林家に次いで大きく格式の高さをうかがわせます。 |
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