「LOGOS」 − チェ・ゲバラ 「ゲバラ日記」
・・・・・・ ロランド 大丈夫かな

だな  なるべく早く埋めてやんねーと

うん  ちゃんと 墓 作ってやってさ

墓碑銘は決まり
” Tu cadaver pequeno de capitan valiehte ha extendido en lo inmenso su mealica forma”

「ゲバラ日記」?

コミックス 「LOGOS」 P.144/P.145


「ロランド」は キューバの革命家 チェ・ゲバラの 一番の 同志だった
橘は その男の名を 彼につけたのだ

コミックス 「LOGOS」 P.162

チェ・ゲバラ (CHE GUEVARA 1928〜1967) は
1928年6月 アルゼンチンの中産階級の家庭に生まれ 医師を志すが
南米諸国を旅する中で革命の必要を痛感 メキシコで出会ったカストロと共に キューバ革命を牽引し 成功に導く
その後 ラテン・アメリカ全体の革命のために キューバを去り ボリビアで活動を続けたが
1967年10月 政府軍に捕えられ 殺害される。


作中に出てくる 「ゲバラ日記」は ボリビアでのゲリラ活動中に書かれた日記である。
(期間は 1966年11月7日〜1967年10月7日まで)
まず 1968年 キューバで刊行され
日本でも 翌年の8月には翻訳され
いわゆる 「全共闘世代」と呼ばれた当時の若者たちに大きな共感を以って迎えられた。

↑ これは 年代的には 橘より 数年上の大学生位の若者達と考えられるが
安田講堂の演説をそらんじる辺りと合わせて 橘の 早熟さが よく現れている部分だと思われる。

ロランドは 
本名 エリセオ・レイエス・ロドリゲス キューバの共産党中央委員であり 階級は 大尉。
1967年4月25日に戦死。

そのときの状況・心情を ゲバラは日記の中で 以下のように 綴っている。

「(前略)間もなく 出血で死にかけたロランドが運ばれてきた。
 輸血を始めたが すぐ息を引き取った。
 弾丸で大腿骨と神経動脈を打ち砕かれ 出血多量で手遅れだったのである。
 われわれはゲリラ隊随一の隊員であり 隊の支柱である一人を失った。
 まだほんの子供で 第四隊の伝令になったころから キューバ侵攻を経て
 今日こうして新たな革命の冒険に参加するまで 彼は常に私の同志であった。
 いつか実を結ぶであろう未来への夢のために人知れず死んでいった彼に対しては
 『勇敢な大尉よ きみの小さななきがらは 黄金のように永久不変となった』 というほかない。」

日記中で ロランドについての特別な記述がされているのは この部分しかなく
(ゲリラ活動の日誌であるから それは当然とも言える)
日記と合わせて記されている「ゲバラ小伝」中でも 主に カストロとの関係について記されているため
ロランドとの関係は ここから 推して知るしかない。
 
「LOGOS」は 橘という 1人の少年の 絶望の物語で ある。
けれど その絶望の中にも 消えない小さな希望の光があった と思う。
なぜなら 彼が愛した(と思う) チェ・ゲバラのゲリラ活動 や 安田講堂に象徴される学生運動 は
革命 であったから。
ゲバラを 革命へと船出させたものは 「
共感と冒険というロマンチックな絆」であり 「冒険への抗しがたい憧れ」であった。
橘の心の中にも そんな感情があったはずだと 私は思う。
たとえ それが 絶望的な現実からの逃避行の中であったとしても
冒険を夢見ることは 心若き人々の特権なのだから。
 
<参考文献> チェ・ゲバラ (高橋正=訳) 「ゲバラ日記」 角川文庫

上記の文章の中で 
色が変わっている部分は 文献より 引用させて頂きました




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