岩船大祭

祭りの風景
 家々では酒肴を用意しておしゃぎりが来るのを待つ。行列が家の前まで来ると、おしゃぎりについてきた人たち、親戚の小父さんや、ご 主人の知人、「お宅の娘さんの同級生です」と名乗る若者や、顔も知らない赤の他人やらが、「おめでとうございます」と型通りのあいさ つを口に、入れ代わり立ち代わりにやってきて、またたく間に大騒ぎが始まる。
 玄関先で盃一杯のお酒をいただきお礼を述べて辞する人、ずかずかと座敷に上がり込んでビールをねだる奴、トイレを借りにきてそのま ま先程のビール飲みと意気投合して落ち着いてしまう輩など、一人来ては二人帰り、三人帰っては四人入って来て、おしゃぎりが全部通り 過ぎるまでのしばらくの間、いや、行列のはるか後方からおしゃぎりの影を追い掛けて、それでも知り合いの家を欠かさずに回る律義者も いたりして、かなり長い時間、目の回るようなてんてこまいが繰り広げられるのである。
 座敷の隅にちょこんと座った大年寄が的の外れた指図をしたり、小さな子供が理由もわからずはしゃぎ回る中で、女衆は忙しく立ち回っ て、この客たちをもてなしてくれる。前夜はおそくまで下ごしらえをし、当日の朝早くからごちそうを作り、それで足りなければオードブ ルや寿司を取り寄せて、やれ熱燗だ、やれ冷や酒だ、やれビールだ水割りだと、わがままを並べ立てる男衆をこなしていく。「一年の稼ぎ を十三で割って、一月分は祭りに使う」と言われるが、あながち大袈裟とは言い切れないし、「岩船祭りは無礼講」と言われるが、参加資 格を手に入れた者にとっては正にその通りなのである。
 町々や村々にそれぞれの祭りがある中で、近郷近在の人たちからも「岩船の衆は(祭りに対する)熱の入れ方が違う」と言われ、町の人 もこの祭りを何よりも自慢の種にしているのだが、歴史の古さやおしゃぎりの豪華さもさることながら、実は、家々でのこの大盤振舞いこ そが岩船の真骨頂であり、岩船「大祭」たる所以なのである。「嫁に来てから何十年、おしゃぎりなんて満足に見たことがない」と愚痴を こぼし、「祭りなんかなければいい」とつぶやく女たちこそが、岩船大祭の本当の主役である。「おらごの父ちゃんもせがれも祭り馬鹿で、 毎晩のように家をあけて」だとか、「何十人も客が来て、酒もご馳走もいっぱい、はやってしもて」などという文句の中には、男とお祭り を支えているのは自分たちだ、という自信と自慢が込められているのである。
 通りを進むおしゃぎりに、家々からご祝儀が上げられる。自分の町内の他にも、近い親族がいる町内や、知人が役員を務める町内へとご 祝儀をはずむ。全部の町内に祝儀を上げる家も少なくない。ご祝儀をいただいた家におしゃぎりを向けて、岸見寺は「木遣り」を、惣新町 と下浜町は「もみだし」を、他の屋台は「通り囃子」を披露して礼を返す。おしゃぎりも人も、右に左に大きく揺れながら、酒に酔い、祭 り囃子に酔い、人の情にしたたかに酔っぱらって、祭りの列は進んで行く。

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 神社を出発してから行列は、下大町、上大町、上町(の一部)、横新町、中新町、縦新町とめぐり、お昼すぎ、縦新町のはずれに設けら れた「(第二)お旅所」にお御輿と御神馬が到着して、神々はしばし休憩をする。おしゃぎりの曳き手や乗り子も、昼食の「ままあがり」 となる。「お旅所」での神事が済むと、お御輿は岸見寺屋台の次へと、行列の中での位置を変える。この縦新町の折り返しや上町の折り返 しで、今来た道を戻るとき、お囃子が「帰り囃子」に変わり、若い衆がもみ合いながら、おしゃぎりは勢い良く走って戻って行くのである。
 昼休みをはさんで新田町から上町に入る頃には、早くも秋の日が暮れて、おしゃぎりには屋台提灯が取り付けられ、灯が入れられる。昼の 光の中とはまた違った風情を漂わせて、お祭りはいよいよ佳境へと入っていく。上町を過ぎ、昼前に通った横新町を二度目は走り抜けて、 上浜町にさしかかると夕食の「ままあがり」となる。
 上浜町から下浜町へと進むと、露天の立ち並ぶ道とおしゃぎりの巡行路が交差して、にぎやかさが一段と増す。だが、この頃には曳き手 はめっきりと人数が減ってしまっている。朝からの酒に酔い潰れてしまった者や、酩酊状態でおしゃぎりのことも忘れ、上がり込んだ家で 長々と腰を据えてしまう者が続出して、わずか十人足らずの曳き手でおしゃぎりを動かすという有様になってしまう。
 あちらこちらで酔っぱらい同士のいざこざが起き、些細な事件が人の口を伝わる内に尾鰭がついて話が大きくなって、もめごとを恐れる 若連中の幹部たちが、事の真相を探るために右往左往する。おしゃぎりの中では疲れ果てた子供が柱に顔をつけたまま寝てしまい、法被姿 の高校生が慣れない酒に路地の暗がりで背中を丸め、酒の勢いを借りて誕生した急造アベックがいちゃついて、祭りがナマな表情を垣間見 せる。いつの日か思い出に変わる、苦労や、困惑や、疲労、頭痛、恋心、そして満足感など、さまざまな思いをそれぞれに胸に刻みながら、 お祭りの夜は更けていく。

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 下浜町から岸見寺、地蔵町の狭い通りへとおしゃぎりが進んで行く。一年間を凝縮した長いお祭りの一日が、終わりへと近づいていく。
 地蔵町の裏通り、石川沿いの道を屋台が行く。「浜回り」と呼ばれ、一度しか通らない道にもかかわらず、岩船祭りの禁を破って「帰り囃 子」で行く。かつては本当に砂地であったため筵(むしろ)を敷いて、他町の衆も手伝い、テンポの早い「帰り囃子」で力を合わせて一台 ずつ屋台を曳き上げたという。道が舗装されてから何十年も経ち、そんな昔の苦労話を語る人も少なくなったが、お囃子だけが当時の名残 をとどめている。
 しゃぎりがやっと通るほど狭い、地蔵町の家込みの中を進むと、正念場の「地蔵様の角」が待ち受ける。狭いT字路を直角に曲がらなけ ればならないのである。ふと気がつくと、一時よりも曳き手の数が揃っている。酔い潰れていた者も、どこぞの家で祭りを肴に長々と話し 込んでいた者も、頃合いを計ったかのように戻ってきて、「俺がいなくて、この角が曲がれるものか」と言わんばかりの顔で、おしゃぎり の周りを固めている。
 狭い場所に見物の人がひしめき合い、見せ場を前に、おしゃぎりの中では「笛吹き」が寝ぼけ眼の子供たちを叱咤する。弾かれたように 子供たちがハヤし声を張り上げて、おしゃぎりが角へと進みだすと、途端に上から右から左から「ピピーッ」「ピピーッ」、危険を報せる ホイッスルが鳴り響く。「どこだーっ」会長の怒鳴る声に、「こっちだー」「ここだー」上下左右から怒鳴り声が返ってくる。雨障子が電 柱の防犯灯に、唐破風が家のひさしに、心棒の左右の先が電柱に、ブロック塀に、触れんばかりになっている。「浜に切れ」「山に切れ」 「よしこのまま真っすぐだ」目を血走らせて男たちが叫び、おしゃぎりが一尺も進まない内に、またホイッスルの悲鳴が降り注ぐ。しゃぎ りの後ずさりは恥だとして、他町の笑い者になるまいと、警護の大人が口を出そうとするが、「若い者にまかせておけ」と、他の大人がで しゃばり者を怒鳴りつける。わずかに角度を変えてはわずかに進み、その度に怒号とホイッスルの音が飛び交い、正面の電柱に手木をこするようにしながら向きを変えていく。
「よし、かわした」、内側の心棒の先に付いている者が大声で叫ぶと、しゃぎりが大きく回って地蔵様の角を抜ける。見物からも曳き手か らも歓声があがり、拍手が湧き起こる。いつの間にか、手に手に弓張提灯を持った曳き手が大勢戻り集まり、子供たちに合わせて「帰り」 をハヤしている。地蔵町から大通りへ出ると、後は「帰り屋台」となってそれぞれの町内へと帰って行くだけである。後ろから、けたたま しいホイッスルの音が聞こえてくる。次のおしゃぎりが地蔵様の角へとさしかかっている。

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 岸見寺と横新町のおしゃぎりは、巡行を終えると町内へは帰らずに神社に向かう。「お船様」「お御輿」「御神馬」が、石船神社へとお 帰りになる。
 船が山に登るという、他には例を見ない行事が民俗学的に貴重であるとされ、県の無形民俗文化財の指定を受ける根拠にもなった岩船大 祭のクライマックス、「とも山」神事の始まりである。先太鼓の衆がなまった腕に意地を入れなおし、つぶれた手のマメを気にとめずに太 鼓を打って先導し、お船様を担ぐ岸見寺の若い衆も、御神馬を担ぐ横新町の若い衆も、酔った足に力を込めて「また一年、また一年」の思 いを胸に、石段を一段、また一段と登って行く。
 ソーランイェーサン めでたのヤァーエー
           (ヤストコエー ヨーイヤナー)
 めでたの大明神だニ ヨーイトナー
           (ソーラーイヤー ハリャリャリャリャ ホイ ヨーイトコー ヨーイトコナー)
 島の始まり 島の始まり淡路の島だ
 国の始まり 国の始まり大和の国だ
 柱は 柱は白金黄金のへみをこくませたまいて
 ここは穂山の ここは穂山の大和の錦
 やがたを見て来い やがたを見て来い 祝いめでたの明神丸だ
 明神丸は 明神丸は面舵取り舵効き合わせて
 明神丸は 明神丸はともやまかけた
 明神丸は 明神丸は盤木に乗せかけ
 明神丸は 明神丸は盤木に乗せた
 ソーラーイヤー ハリャリャリャリャ ホイ ヨーイトコー ヨーイトコナー
 町内へと帰る他のおしゃぎりのお囃子が、潮風に乗ってかすかに聞こえる神の杜に、枯らした声を奮い立たせて浜の男たちが歌う「どっ とこ木遣り」が響き渡る。
「このー坂ーのぼーれーばー、このー坂ーのぼーれーばー」万感を込めた声の波に乗り、参道に並ぶ献灯にその 姿を浮かび上がらせて、お船様が山へと登る。
 「船魂(ふなだま)祭り」とも異称される岩船大祭のこの日、海に生きる者ばかりでなく、悠久の歴史の中でこの町に生きた、数えきれ ない者たちの思いを集めて、取るに足りない小さな港町が強烈に光り輝くのである。今この町に生きる者たちが、神に、自然に、祖先に、 謙虚な祈りを捧げる中、岩船大祭の幕が静かに降りて行く。

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 朝とは反対の方向から、明神橋の手前の大通りの角に出たおしゃぎりは、その場で神社に向かい最後のあいさつをすると、それぞれの町 内へと帰って行く。お祭りの終幕を惜しむかのように、テンポを落としてゆっくりと「帰り囃子」を吹く笛の音に合わせて、若い衆がしゃ がれた声でハヤしながら、おしゃぎりの帰りを待つ当宿へと向かう。
 神社から二番目に遠い上町のおしゃぎりが町内に入り、新田町との境で向きを変えて、太次平の坂をのぼると、一番遠い惣新町のおしゃ ぎりが、曳き綱に溢れるほどの曳き手と、その曳き手より多いくらいの町の人を後ろに従えて大通りを進んできて、二台のおしゃぎりは、 あんやの角で出会う。惣新町と上町の「帰り」は、よく似た旋律で、「あんりょう、あんりょう」とハヤす、合いの手も同じである。二台 のおしゃぎりが、手木と手木とがぶつかるほど接近させて停まると、一方がお囃子を休んで、交互に「帰り囃子」を披露し、両町の衆が声 を合わせて「あんりょう、あんりょう」の大合唱を繰り返す。惣新町と上町にとって、お祭りのフィナーレを飾る「あんりょうがけ」であ る。お互いを讃え合い、満足感を分かち合って「あんりょう、あんりょう」が夜の町に響き渡る。「どうもありがとうございました」「あ りがとうございました」、若連中の幹部があいさつを交わして別れを告げ、当宿への残りわずかの道を、それぞれの「あんりょう、あんり ょう」をハヤしていく。
 丸一日をかけて当宿に帰り着いたおしゃぎりで、全員の注目が集まる中、最後の最後の「帰り囃子」が演奏される。「よし終わりだ」、 笛を操る手を止めて笛吹きが告げると、歯をくいしばって最後までつとめあげた子供たちに、称賛の拍手が湧き起こる。子供たちにとって、 祭りでの役割をしっかりと果たした経験は、いい点数をとったテストなどよりずっと大事な、生涯の誇りになる。おしゃぎりの片付けが済 むと、当宿で味噌汁が振る舞われる。心尽くしの味噌汁が、疲れ果てた身体に沁み渡り、心までも温もって、ひとしきり今日一日のことが らを話題にしたあと、皆で厚く礼を述べて当宿を辞去する。
 疲れた足をひきずって家に帰り着くと、汗を洗い流すだけで、後は倒れこむように寝床に入る。起きだしてから、もう24時間が経過し ようとしている。数時間後には、おしゃぎりの格納を始め、多くの後片付けが待ち構えている。すぐに寝つこうと思うのだが、目を閉じる と、もう動いているおしゃぎりは一台もないはずなのに、どこからか祭り囃子が聞こえてくる。木遣り唄、車輪の軋む音、アスファルトを 摺る雪駄の音、駒下駄の音、男たちの掛け声、女たちの嬌声、そして先太鼓の音。思考を止めた頭の中に祭りの音が渦巻いて、この一日の さまざまな光景が、脈路もなく浮かんでは消えていく。毎年のことだが、ありふれた日常に戻るまで、また後遺症に悩むことになると、暗 闇の中、ひとり苦笑いを浮かべる。

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