村上・岩船郷土芸能紹介

お問合わせ

村上大祭
西奈彌羽黒神社が臥牛山の中腹から現在の場所へ遷座されたことが始まり

村上大祭とは

村上大祭

村上大祭は、西奈彌羽黒神社の例大祭で寛永10年(1633年)6月7日、臥牛山の中腹から現在の場所へ遷座された際の遷宮祭が起源となっています。
江戸時代には旧暦の6月6日・7日に行われていましたが、明治以降は新暦の7月6日・7日となり、現在に続いています。
祭の行列は、先太鼓・庄内町笠鉾・荒馬14騎・社名旗・四神旗・五色旗・神職・神輿三基・神馬・各町屋台19台と続く行列を構成しています。荒馬14騎は、戦国時代の村上城主本庄繁長が、庄内での戦いで勝利をおさめ凱旋したときの様子を模したものとされています。

村上大祭について

開催時期 宵祭り:7月6日
本祭り:7月7日
露店開設:7/6~7/8
活動地域・開催場所 西奈彌羽黒神社、村上市内一円
駐車場
おススメの見どころ 7月6日(宵祭り)から7日(本祭り)にかけて村上の伝統産業である彫刻や漆塗りを施し、金銀の飾りをつけた絢爛豪華な屋台が市の中心部を巡る村上大祭。
県下三大祭りの一つに数えられるこの大祭は、三基の神輿に御神霊を奉遷し、太鼓を先導とする長い行列が各町内を巡行する「お旅神事」です。
7日午前0時。太鼓の音が鳴り響き、祭礼の始まりを告げると、各町内では羽黒神社への出発準備を始め、まだ夜も明けやらぬ午前5時ごろになると三々五々、神社前に19台の屋台が集合し、午前8時の花火を合図に、御神霊を載せた神輿が出発します。その後を19町内の屋台が続き、上下にゆれ、左右にうねりながら優雅に進む屋台に沿道からの歓声が上がります。
由来 村上大祭は、西奈彌羽黒神社の例大祭で寛永10年(1633年)6月7日、臥牛山の中腹から現在の場所へ遷座された際の遷宮祭が起源となっています。
江戸時代には旧暦の6月6日・7日に行われていましたが、明治以降は新暦の7月6日・7日となり、現在に続いています。
祭の行列は、先太鼓・庄内町笠鉾・荒馬14騎・社名旗・四神旗・五色旗・神職・神輿三基・神馬・各町屋台19台と続く行列を構成しています。荒馬14騎は、戦国時代の村上城主本庄繁長が、庄内での戦いで勝利をおさめ凱旋したときの様子を模したものとされています。
・平成30年3月に国の重要無形民俗文化財に指定
HPアドレスまたはSNS
お問い合わせ先

ミニコラム「50年前はこうだった」

昔は舗装されていない道を巡行していくときに車輪がはまって大変だった。巡行経路で露店が開かれていた上町・大町通りを屋台が通るときは店の軒先を下げてもらい通ったそうです。巡行経路も隔年で2通りのものがあったそうです。今と比べると屋台に乗れる子は小学3年~中学1年の男の子と制限され、子供が多すぎて交代制で乗っていた。引手の若連中(中学2年~40歳までの青年)も、1世帯で1人までで、地元の長男だけに制限されていた。

村上大祭について

構成員数(2021.11現在) 20歳未満:00人
20~30代:00人
40~50代:00人
60~70代:00人
80歳以上:00人
総勢/00名
衣装・飾り 屋台に乗ってお囃子をする子供は浴衣や裃を着て乗り、鉦や太鼓の演奏をしている。屋台曳き回しの人たちは半纏を着て参加している。半纏の襟元には各自の名前や会社名、屋号が書いてある。屋台の飾りは各町内で異なり、おしゃぎり上層の乗せ物や見送りを見比べてみると面白い。
恒例行事以外の活動歴 2019年5月14日新天皇陛下が即位され、雅子さまが皇后陛下となられた1日、令和のスタートとともに、雅子さまゆかりの地・新潟県村上市ではさまざまな慶祝行事が行われた。市内は祝賀ムード一色に包まれ中心市街地では村上大祭の屋台が曳き回され、夜遅くまでにぎわった。村上市と雅子さまには、雅子さまのご実家である小和田家の先祖が村上藩士だったといわれる縁がある。1日夜、村上城下では、1千人によるちょうちん行列と11台の屋台が街中を練り歩き、集まった約2千人の観衆は天皇陛下のご即位、皇后陛下・雅子さまの慶祝とともに令和時代の幕開けを祝った。
近年の取り組み 早朝から深夜までの長時間運行をやめ、短時間化して負担軽減を図っている。近年は町内外からの参加者も曳き回しに参加している。
本番に向けた1年間の流れ 春~夏:村上大祭運営委員会の会合が始まり、各町内運行代表同士の顔合わせや打合せ等が始まる
6月下旬~7月上旬:各町内でお囃子の練習開始
6月下旬~7月6日町内の大人総出で屋台を保管庫から出し、掃除や飾付け、組立等を行なう
7月6日:宵祭り
7月7日:本祭
↓
お問い合わせはコチラ

お電話でのお問い合わせはご遠慮ください。

郷土芸能振興祭2021実行委員会
事務局/〒958-0841村上市小町4-10 村上商工会議所内