瀬波大祭
保食神を祭神とする西奈弥神社の例大祭
瀬波大祭とは
瀬波大祭は、保食神を祭神とする西奈弥神社の例大祭。西奈弥神社は江戸時代には気比大神宮と称され、祭礼は越前国敦賀(今の福井県)の気比神宮の祭神である気比大神の瀬波への来航上陸を祝うものであり、大祭では神霊をのせた御輿の後ろに、渡海船に擬せられた屋台を先頭にして、計5台の屋台行列が瀬波の町内を練り歩きます。気比神宮の例大祭が毎年9月4日に行われている(気比の長祭り)ことから、瀬波大祭も同日に開催されています。
瀬波大祭について
開催時期 | 9月3日~4日 |
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活動地域・開催場所 | 村上瀬波地区 |
駐車場 | |
おススメの見どころ | 提灯にあかりをともした5台の屋台が瀬波浜町の坂下に集まり、そこで披露される各町内自慢の木遣り唄は、勇壮でテンポが速く、港町の心意気を感じることができます。また、勇ましい掛け声とともに西奈彌神社目掛けて坂を一気に駆け上がるシーンは、瀬波大祭の最大の見どころです。 |
由来 | 瀬波大祭は、保食神を祭神とする西奈弥神社の例大祭。越前国敦賀(今の福井県)の気比神宮の祭神である気比大神の瀬波への来航上陸を祝うものであり、大祭では神霊をのせた御輿の後ろに、渡海船に擬せられた屋台を先頭にして、計5台の屋台行列が瀬波の町内を練り歩きます。 |
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ミニコラム「50年前はこうだった」
瀬波大祭は、明治時代以前までは旧暦8月4日であったが、明治時代の新暦導入後は9月4日となったそうです。祭りの行列は、1基の神輿を先頭に、御神馬に擬した鞍の後、各町の屋台が5台続き瀬波町内を巡行するが、第二次大戦後すぐの頃には、瀬波浜町、瀬波中町、瀬波上町、瀬波横町、瀬波新田町の5町が、それぞれ御神馬を一頭ずつ奉納し、御幣を立てた鞍を背につけて巡行していたそうです。
また、瀬波大祭を象徴する浜町坂で行われる「木遣り」についても、昭和40年頃までは、瀬波横町から瀬波新田町へ向かう坂、通称「ガケマの坂」 で行われており、道幅が狭く坂が短いことから、多く の見物人でごった返していたそうです。
さらに、昔は「城下町新発田ふるさとまつり」の「帰り台輪」のように、喧嘩祭りであったそうで、4日の夜に浜町の坂へ向かう途中、祭りを早く終わらせないように上町の屋台が中町の屋台の行く手を阻み、毎年そこから喧嘩が始まったといわれています。町内同士の揉み合いの末、祭りが翌5日の朝まで続く事も度々おこり、いつしか運営上の問題から、喧嘩祭りの様相は消えてしまったようです。
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瀬波大祭について
構成員数(2021.11現在) | 20歳未満:0人 20~30代:0人 40~50代:0人 60~70代:0人 80歳以上:0人 総勢/0名 |
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衣装・飾り | |
恒例行事以外の活動歴 | |
近年の取り組み | |
本番に向けた1年間の流れ | 1月実行委員会組成(各町内輪番制) 5月~具体的の活動開始 |