岩船大祭
祭りが記録に初めてみられるのは永禄~天正年間(1558~1591)
岩船大祭とは
岩船大祭は石船神社の例大祭で、毎年10月18日、19日に行なわれます。航海の安全と大漁、町の安全を祈願する、港町にふさわしい勇壮な祭礼です。歴史も古く、絢爛華麗な屋台を中心としており、昭和63年(1988)3月には、新潟県無形民俗文化財に指定されました。石船神社は延長5年(927)に著された『延喜式神名帳』に磐船郡八座の筆頭に記された歴史ある神社です。祭りが記録に初めてみられるのは永禄一天正年間ですが、現代のような屋台に近い形になったのは江戸時代後期で、現存する屋台で最も古いものは亨和元年(1801)に製作された下浜町の屋台です。
岩船大祭について
開催時期 | 宵祭り:10月18日 本祭り:10月19日 露店開設:10/18~10/20 |
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活動地域・開催場所 | 石船神社、村上市岩船地区 |
駐車場 | |
おススメの見どころ | 岩船大祭の見どころはやはり9町内の絢爛豪華な屋台です。屋台の上層に載っている乗せ物はもちろん、上層後部には見送りと呼ばれる装飾彫刻が施されて見応え抜群です。朝に神社で各屋台がお囃子をしていくさま、昼に屋台行列が通りに並んでいるさま、夕闇時に提灯に照らされた装飾が輝くさまと一日を通して見どころ盛りだくさんです。町内によって異なるお囃子と笛太鼓の演奏を聞き比べるのも楽しいです。祭り当日はまちの家々がお酒や食べ物を用意し、屋台の引手や客人たちをもてなし、町全体が祭りの雰囲気に酔いしれます。 |
由来 | 航海の安全と大漁、町の安全を祈願する、港町にふさわしい勇壮な祭礼です。歴史も古く、絢爛華麗な屋台を中心としており、昭和63年(1988)3月には、新潟県無形民俗文化財に指定されました。石船神社は延長5年(927)に著された『延喜式神名帳』に磐船郡八座の筆頭に記された歴史ある神社です。祭りが記録に初めてみられるのは永禄一天正年間ですが、現代のような屋台に近い形になったのは江戸時代後期で、現存する屋台で最も古いものは亨和元年(1801)に製作された下浜町の屋台です。 |
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ミニコラム「50年前はこうだった」
当時は巡行経路でも未舗装の道があり、車輪がはまって大変だった。また巡行経路の上町・大町通りに露店が開かれていて、屋台が通るときは露店の軒先を下げてもらって通っていたらしい。屋台行列には本物の馬も同行していた。今と比べると屋台に乗れる子は小学3年~中学1年の男の子と制限され、子供が多すぎて交代制で乗っていた。引手の若連中(中学2年~40歳までの青年)も、1世帯で1人までで、地元の長男だけに制限されていた。
岩船大祭について
構成員数(2021.11現在) | 小学生:00人 中高生:00人 社会人:00人 総勢/00名 |
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衣装・飾り | 屋台に乗ってお囃子をする子供は着物を着て乗り、大太鼓をたたく子と笛や鼓を演奏する大人は紋付を着ている。屋台を曳き回す若連中は町内名や役職が書かれた法被を町内から借りて着て参加する。若連中を定年で抜けた者は、上の団体に入る際に個人の法被を購入して祭りに参加している。おしゃぎりの飾りは各町内で異なり、屋台上層の乗せ物や見送りを見比べてみると面白い。 ※購入・手配先等の情報もあれば可能な範囲でご記入ください。 |
恒例行事以外の活動歴 | 大同2年(807)に、北陸道観察使の秋篠朝臣安人が京都貴船神社の祭神三柱を勧請したことにちなみ、越後岩船1200年祭を平成19年(2007)5月5日に開催。 |
近年の取り組み | 早朝から深夜までの長時間運行をやめ、短時間化して負担軽減を図っている。 |
本番に向けた1年間の流れ | 春~夏:岩船大祭運営委員会の会合が始まり、各町内運行代表同士の顔合わせや打合せ等が始まる 10月上旬~中旬:各町内でお囃子の練習開始 10月中旬(祭前の土日等):町内の大人総出で屋台を保管庫から出し、掃除や飾付け、組立等を行なう 10月18日:宵祭り 10月19日:本祭 |