村上大祭
新潟県三大夏祭の1つ  村上大祭(7月6日・7日)

長井町の布袋様     【村上大祭の由来】

 西奈彌羽黒神社の神幸祭は、寛永10年6月7日、臥牛山の中腹から現在地へ遷座されたことを記念して行われている年中行事です。またこの羽黒神社の遷宮をお祝いして、大町の人たちが大八車に太鼓を積んで町じゅうを練り回したのが、村上大祭の始まりと伝えられています。
 祭日は、江戸時代には旧暦の6月6・7日に行われていましたが、明治以降は新暦の7月6日・7日となりました。

 祭の行列は、先太鼓・庄内町笠鉾・荒馬14騎 ・神旗・神輿3其各町山車(おしゃぎり)19台と続く行列で構成されています。荒馬14騎は、戦国時代の村上城主本庄繁長が庄内での戦いで勝利をおさめ凱旋した時の様子を模しています。


  【村上のおしゃぎり】

 村上大祭に曳きだされる山車のことを村上では「おしゃぎり」と呼び、羽黒神社の遷宮をお祝いして、大町の人たちが大八車に太鼓を積んで町じゅうを練り回したのが、村上大祭の始まりでしたが、今では彫刻や堆朱・堆黒を施した豪華な屋台となっています。

6月下旬から村上大祭のおはやしの練習が始まりました。チャンチャンズキズキと鐘と太鼓と笛でメロデーを奏でます。村上の古い城下町で京都からお殿さまもいらした土地柄なので、祇園祭りの雰囲気があります。
(練習の様子の画像はこちら)


  【おしゃぎりの組み立て】

 おしゃぎり屋台は釘を一本も使わず、凹凸でかますようにして組み立てます。
長井町のおしゃぎり屋台はすべての部品を始めから組み立てるので、半日ほどかかります。
(組み立ての様子)   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9

  【各町内のおしゃぎり】  巡行順

各町内で法被も違いますし、各町内の二階部分には町内毎に違う乗せ物が乗っています。後ろの見送りも見事な物が多いです。

・久保多町 (屋台の前後ろ)

 1812年に造られた屋台で、乗せ物は「住吉の景」、大阪の住吉大社の景色を、鳥居,太鼓橋、松とで模しています。屋台は後方に楽屋のある「お囃子屋台」で、楽屋衆の笛と三味線の調べにあわせて、鉦、鼓、太鼓をたたく乗り子が裃を着てはやします。

・大 町 (屋台の前後ろ)

 明治の大火で焼失後、焼け残った部材を生かし再建され、昭和9年に新たに彫りと塗りが施された屋台で、乗せ物は「諌鼓に鶏」で、諌鼓とは昔の中国で、君主に諫言したいものに打たせた太鼓のことで、平和の象徴とされています。

・寺 町 (屋台の前後ろ)

 1789年に造られた屋台で、乗せ物は「費長房」、曽我兄弟の仇討ちを題材とした曽我物語に登場する「鶴に乗った仙人」としてなじみがあります。屋台を飾る彫り物は高欄の部分の彫り物には、かぶにねずみ、竹に虎、波に兎、欄下の龍など十二支にちなんだものが配置され、上がり段の波彫り、前庇の槌の水車など、名匠の作と言われています。

・大工町 (屋台の前後ろ)

 1796年に造られた屋台で、大工さんが大勢住んでいたので屋台の構造や技法にその技を見る事ができ、軽量化の工夫がなされています。乗せ物は謡曲の「高砂」からとっています。

・小 町 (屋台の前後ろ)

 1872年の火災後、焼け残った部材を活かし逐次再建されたもので、乗せ物は七福神の一神「大黒天」で、三宝(仏・法・僧)を守り飲食を恵む神とされています。江戸時代になると商家では福の神として、農家では田の神として庶民の信仰の対象になりました。

・塩 町 (屋台の前後ろ)

 1772年に造られた屋台で、乗せ物は「猩猩」で中国の伝説上の生き物です。日本では能楽の曲名として有名で、親孝行な息子の素直な心を賞して、汲めど尽きない酒の泉を与え、舞を舞うというのが謡曲の筋です。この猩猩の舞う姿を模したものです。

・上 町 (屋台の前後ろ)

 1850年に造られた屋台で、当時町内に住んでいた村上の名工「有磯周斎」が中心となり、村上彫刻の粋を集めたものといえます。乗せ物は「梵鐘」で、もちろん木製です。

・細工町 (屋台の前後ろ)

 大正13年に前の屋台と同じ形式で造りかえられたもので、簡素な能舞台を原型にしたものです。乗せ物は「三番そう」で、能楽の祝言曲の式三番で、三番目に老人が黒い能面をつけて舞うことから「三番そう」と言われます。おはやしの調子は三下りです。

・安良町  今年度は都合により参加せず

 1856年に再建されたもので、乗せ物は松の木一本で住吉の景を表しています。屋台後方の見送りは「竜虎」がいがみ合っているところを稲垣又作の作です。屋台各部は山脇三作の作です。おはやしは、二上がりの「樂くずし祇園ばやし」です。

・小国町 (屋台の前後ろ)

 1774年に造られた屋台で、乗せ物は京都で造られた「孟宗」で、中国の二十四孝の一人で真冬に筍が食べたいという母のために雪の降る中を筍を取りに出て母親に供したと言われています。屋台後方の見送りの衝立は「桐に鳳凰」が金糸の刺繍で施されたものです。

・鍛冶町 (屋台の前後ろ)

 1792年に造られた屋台で、お囃子屋台の中では塗りの施されたものとなっており、乗せ物は「二見浦の景」で、夫婦岩を配し見送りと高欄には立浪の彫刻が施されています。おはやしは行きの曲は、早朝漁のため港を出る船の情景を表し、帰りの曲は、豊漁の喜びにわき港に帰る船の情景を表しています。鍛冶町のおはやしは市の無形文化財に指定されています。

・肴 町 (屋台の前後ろ)

 1760年に造られた屋台で、現存する屋台では最も古く、乗せ物は鯛に乗った「恵比寿様」で、殿様から肴商いを許された町にふさわしく、屋台と同じ年に京都で造られました。屋台後方の見送りをはじめ彫刻は「宝尽くし」で彩られたものであり、屋台一階の天井の絵は、桐に鳳凰が彩色されたもので、祭りにかけた町衆の心意気を感じさせます。

・長井町 (屋台の前後ろ)

 古い屋台の部材を利用して、明治初年に再建されたものです。乗せ物は前の屋台から引き継いだ「布袋様」で、京都で造られました。布袋様は中国の禅僧「布袋和尚」を起源として江戸時代には七福神の一つに数えられ、村上の屋台では唯一のカラクリ人形で、顔を左右に振ったり、舌を出す様子などに愛嬌があります。

・羽黒町 (屋台の前後ろ)

 村上で64年ぶりに平成10年に新調された屋台で、地元の職人が伝統技術と現代感覚を調和し、にわか屋台からおしゃぎり屋台に新調しました。乗せ物は「大天狗の面」で、見送りも羽黒神社に奉納」されている鳥天狗をモデルとしています。

・庄内町 (屋台の前後ろ)

 平成7年に再建したにわか屋台から平成11年におしゃぎり屋台に改装したものです。乗せ物は「瓢箪」で、火災や災害の鎮圧をテーマとしています。屋根の破風板には、火を見ると水を呼ぶと言われている架空の動物「シャチ」を配しています。

・片 町 (屋台の前後ろ)

 昭和8年に造られた屋台で、おしゃぎり屋台の形式でありながら樂」はおはやし調子で乗り子も法被です。乗せ物は「舞樂の蘭陵王」で、見送りは壮大な唐獅子で小野為郎と山脇敏男の合作です。

・上片町 (屋台の前後ろ)

 昭和8年に造られた屋台で、乗せ物は「天鈿女命」、山脇敏男の作で乗り子は水色の帷子と黄色の裃を着て、大太鼓,小太鼓、摺り鉦、そして笛の音で荘重の中に優雅な調子を奏でます。見送りが今年新調されました。

・加賀町 (屋台)

 昭和63年に造り変えられた屋台で、乗せ物は舌きり雀の良いおじさんが宝の入った葛篭を担いでいる姿です。お囃子屋台の荘重さ、おしゃぎり屋台の豪華さとは趣きを異にした笛と太鼓が織りなす軽やかなリズム、軽快な動きが特徴の仁輪加屋台です。

・泉 町 (屋台)

 平成4年に造り変えられた屋台で、乗せ物は「二宮金次郎」で、三段になった見送りの松が見事な屋台で、笛と太鼓が織りなす軽やかなリズム、軽快な動きが特徴の仁輪加屋台です。


  【村上甚句】

 村上甚句とは屋台を曳きまわす時にも歌われる盆唄である。前節をひとりの人が歌い、後節をみんなが声をそろえて合唱するのです。
 (資料提供は食三味・江戸庄さん

♪ 村上 色香の町よ 堆朱堆黒 茶の香り
♪ 村上だよ 良い茶の出どこ ならび鮭川 山辺里織り
♪ 村上は 良い茶の出どこ 娘やりたやお茶摘みに

ほんの一例ですので、詳しくはこちらをどうぞ!、


HOME